【100】わたのき

4代目理事長の中川藤一が上梓したもので、日本の百樹木についてのエツセイです。木偏(もくへん)のものを集めています。1986年12月12日に日本経済新聞の1面、春秋にとり上げられ大きな反響を得て、経営者自身の執筆出版の先駆けとなりました。写真はウッドリーム2階に展示してあります木偏百樹。

わたのき

わたのき


中国華南地方に高さ数10mにもなる落葉高木で、木 に綿がなるので木綿といわれ、インドに発達したアジアワタは草綿と呼ばれた。
日本には8世紀三河国(愛知県)に漂着した天竺 (インド)人が“ワタ(草綿)”の種を持ってきたが栽培に失敗。
その後16世紀始め再渡来して成功した。
16世紀の終りには河内平野を中心に近畿にも広がった。
1000年以上も麻の繊維にたよっていた日本人にとって“ワタ”の布は、衣生活の文化革命であった。また木綿の染料として「アイ」の栽培普及は色の禁制の中で、生活の色として大きな意味を持つ。 河内木綿は上方 衣料の生活を変え、最盛期は河内水田の半分を占め、月に女性一人で4反から6反しか織れないのに河内10万反、攝津5万反、和泉20万反の生産といわれ、隆盛を極めたが明治20年を境に紡績工業の発達とインド綿の多量輸入、と明治29年の綿花の関税撤廃により急速に姿を消す事となった。
メキシコ。
ユカタン半島の国宝マヤの“木の神殿”、“葉の十字(カット図)”に「ワタノキ」を神格化 した彫刻があり、その拓が我が社の社長室の壁面を飾っている。