一昨年の4月に毎日・読売新聞で600年前の椿の種から花が咲いたという記事を読んだ。8つのつぼみのうち2つが開き、直径6cmの花をつけたとのこと。平等院鳳凰堂の庭園発掘調査で、土中から種が見つかり、いっしょに出てきた土器などから室町時代前半と判明。その後宇治市植物公園で育てたものが開花したのだ。水が枯れない泥土の中であればこそ耐えられたと思うが、今さらながら自然界の神秘に驚く。
世界的に椿は熱狂的な愛好者を持つ花木のひとつであり、その品種は数百種を超える。日本には主にヤブツバキとユキツバキがある。成長は遅いが、萌芽力があり、刈り込みに耐え、耐寒性、耐潮性、耐煙性があり、日陰地でもよく育つ。
貝原益軒は葉が厚いので「あつば木」の「あ」が省略されてツバキになったといい、新井白石は葉に光沢があるので「艶葉木(つやばき)」からの転化という。また強葉木(つよばき)、光沢木(つやき)からの転化などの説もある。
漢名の椿はセンダン科のシンジュ(チャンチン)のことで、全く別の木である。椿という字は国字とされているが、最近出版された「花と木の漢字学(寺井康泰明)」を読むと、漢字という説の方が説得力ある。いずれにしても長い間、混同、混乱したようであった。椿事(ちんじ)、椿説(ちんせつ)などの言葉もここからという。
椿の園芸は江戸時代から盛んで、明治末期には下火になったが、欧米には出島から伝わり、19世紀初頭から英国を中心にブームが起こり、現在でも人気がある。椿が流行し影響を与えたことに、フランスの小説家デュマの小説「椿姫」がある。デュマ自身の体験を元に、当時のパリの社交界の高級娼婦をモデルに、取り巻く男のひとりであった作者自身との恋愛風俗小説。それをオペラ化したベルディの椿姫は観客を魅了、一世を風靡した。グレタ・ガルボ主演によって映画化(1937)もされている。
「落ちざまに 虻(あぶ)を伏せたる 椿かな」と漱石の句にあるが、 寺田寅彦は漱石の門下生として影響を受けたのだろうか、「椿の花に宇宙を見る」の中で「樹が高いほど、あお向きに落ちる比率が大きい、低い樹だと、空中で回転する間がないので、そのままにうつぶせに落ちつく・・・・・・もし虻が花の芯にしがみついていたら、重心が移動し、反転作用を減ずる」と推論している。二人とも椿についての思い入れは深いようである。
また、黒沢明監督もそうである。 三船敏郎主演の「椿三十郎」では椿が重要なシーンで出てくる。クライマックスの屋敷庭のせせらぎに椿の花を流して隣屋敷に合図にする場面があるが、白黒映画なのに赤い椿が特に目立ったのが不思議であった。最近DVDを購入したらその理由がわかった。黒沢監督は椿の花にだけ赤い色をつけようとしたが莫大な費用にあきらめ、造花の花を黒く塗って白黒の中での赤を強調したのである。
絵画の椿といえばやはり速水御舟の「名樹散椿」だろう。山種美術館に行けば見ることができるだろう。私は残念ながら実物を見たことがなく、常々、花びらが一枚一枚と離れて落花しているのが不思議であった。この絵のモデルになった椿を京都の地蔵院に数年前に見に行った。この庭にある五色椿は、枝によって白花や、紅花、まだら花があり、その花びらは八重で、深く裂けているため、満開を過ぎると、一枚づつばらばらに散る。これを見て椿も種類によっては花一体で落下しないことがわかった。
木材として利用されるのはヤブツバキで、樹木としても大きくなるが、近年は大木が入手しづらくなっている。材は緻密で堅くて強く、磨くと光沢が出るので、各種の細工物、器具に用いる。火つきは悪いが、燃えると火持よく、火力が均等で強いという特長のため、良質の炭として、かば焼き、バーベキュー用に歓迎される。またエッチング、金銀細工、蒔絵金箔細工の研磨に利用される。
宮尾登美子の「寒椿」の中で主人公のひとりが椿の花びらをむしゃむしゃと食べるところがあり、私はムクゲの花を食べた事があるが、椿はどうかなと思っていたところ、古い本には次のように書かれている。『花は、てんぷらに揚げて季節を味わうほか、ゆでて酢の物としてもよい。また焼酎につけて花酒ともする。葉は和菓子の「椿餅」、実は昔から椿油の原料として利用されている。 』
椿油は種から採取され、頭髪用、灯用、薬用、食用となり、機械油としても一級。血中の善玉コレステロールはそのままに、悪玉コレステロールだけを下げるオレイン酸の含有量は80~90%もあり、オリーブ油より多い。
椿のイメージはどのようなものだろうか。文学や歌から感じ取ってみた。桜の華やかさ、梅の凛としたところ等と比べると「妖」のイメージである。妖艶(なまめかしくあでやか)、妖怪(わざわいを招きそうな不吉さ)な感じを受けるのは私だけではないだろう。山本周五郎の「五弁の椿」では、若い娘が恨みある人を次々に殺すが、その枕元に椿の花びらを残していく。「寒椿」では最初の頁に椿の特徴とともに花柳界に身を投じてゆく娘たちの姿を暗示している。夏目漱石の『草枕』では、「枝を離れる時は一度に離れるから、未練が無い様に見えるが、落ちても固まっているところはなんとなく毒々しい」と書いている。椿姫ではあでやかさの中に少し危なげさを含んでいる。端唄の「柳の雨」では「ゆく水に 雨はそぼ降る かしの灯よ ・・・・・・下田港は春の雨 泣けば椿の花が散る 」とあり妖女と刹那さを感じる。
自分のその時々の立場、仕事の良し悪し、健康などで感じ方が変わるので、心のバロメーターになる。いつもなまめかしくあでやかに感じたいと思うが「妖は徳に勝たず」、「妖は人によりて興る」も忘れないでおこう。