京都議定書が2月16日に発効した。政府も対応の決意を表していた。しかし中国・オーストラリア・米国などが参加しないのは残念なことだ。
地球環境問題の先駆けとなり、古典書となっている米国で1962年に発表された「沈黙の春」という本がある。今なお環境学を学ぶ人が最初に読むべき本になっており、日本では新潮文庫などから発売されている。この記念すべき本を書いたのがアメリカ人のレイチェル・カーソンである。彼女に対してさまざまな批判や抵抗がありながらもケネディ大統領の英断でDDTなどが禁止になったいきさつがあるだけに、米国が批准しないのはなおさら残念なことである。(参加しない中国でも議定書は支持している)
私も読んだが、その中で何度も出てくる樹木が「ニレ」であった。広大な地域にニレの木だけを植える害について述べてあった。日本での出版が1964年のことであるから、日本の林業家がこの本を読んでいたら、植林の方法も変わっていたかも知れない。
ニレはニレ科に属するニレ属の総称で、日本にはハルニレ、アキニレ、オヒョウなどがある。普通にはハルニレをさす場合が多い。この木の生育する土地は肥沃な土地で、そのためこの木があると、間違いなく農耕適地であるという。エルムとも呼ばれ、世界三大並木樹種のひとつで幹は直立し枝太く広げて美しく、堂々としている。ニレの都、ニレの道筋、エルム通等の呼ばれる地方がかなり多くある。
ハルニレは北海道に多いが、アキニレは本州以南に見られ、近くでは富田林市の錦織公園や藤沢台の団地の並木道に植えられている。ハルニレは四月頃、アキニレは十月頃に開花するため、この名がある。
ニレ材はきちんと乾燥しないと狂いが出る。堅く工作が難しく、日本では積極的に利用されないが、それでも太鼓の胴、まな板、クラフト、低質材は土木用、シイタケのほた木、薪などに利用される。
耐朽性は強くないが、塩水や水浸しになるような場所では驚くほど寿命が長い。短い丸太をくりぬいて作った水道管が、ロンドンで掘り出されたが、これは300年も経過しているのに完全な形で残っていた。また旧ワーテルローの橋に用いられた杭は120年後、橋をかけ直すときにも、まだ腐っていなかった。しかし、この耐久性も少し条件が異なり、空気にさらすと腐朽が早い。
エルム、楡の木からはもの悲しさを感じるのは私だけではないだろう。これは 堀辰雄「楡の家」、北杜男「楡家の人々」、中原中也の詩「木陰」、舟木一夫の「高校三年生」に共通している。「楡家の人々」では楡家の三代にわたる没落と悲劇を描いているが、楡という名に意味があり最後まで読んだが、ついに主人公の金沢甚作がなぜ、楡(楡基一郎)という名に改名したかわからなかった。海外ではアメリカの劇作家オニールの「楡の木陰の欲望」や最近では「エルム街の悪夢」などもあり、どちらも明るい、楽しいとは縁遠い。ケネディが凶弾に倒れたのもダラスのエルム通りだ。
しかし、最近ではニレの木は一般の人にもなじみが深くなっている。写真集や雑誌、カタログで草原の中で一本の美しい樹形を見せる木がある、多くの人が写真などで一度は見たことのある木だ。撮影地は北海道の豊頃町で、この木をシンボルとしている町である。
ハルニレを暖炉で燃やすと、火力は弱いが、他の木が燃え尽きても、消えることなく、ほそぼそと燃えながらえている。薪としては長時間火を維持する木だ。そのような性質のため山火事が発生し、雨で他の木が消えても、楡の木の火は消えず、地元では消火用の道具の中には鋸も用意されているという。アイヌの人々は火を熾す場合にこの木を利用していた。普通は火起こし器は錐と臼では異なる樹種を使うのだが、ここでは両方とも楡が使われていた。
ヘンリー・ムーアの彫刻は多くの人が一度は出版物などで見たことがあるだろう。英国が誇る20世紀最大の彫刻家で、「自然と人間の調和」を生涯のテーマとし、現代彫刻史に確固たる地位を築いた。木を利用した彫刻も多く、すべてニレを使っている。ニレ特有の粗い年輪が作品の曲面に展開されていて見事に生かされている。ムーアの彫刻の方法は少し変わっているかもしれない。伐採直後の生の状態で彫刻を始め、掘り込んでいくうちにどんどん乾燥していく。ニレは未乾燥の状態の方が軟らかいからという。
ちょうど「箱根・彫刻の森美術館」で9月5日まで「ヘンリー・ムーア:自然の気配 人のかたち」展が開かれている。ニレの特徴を生かした彫刻「横たわる像:穴」なども展示されている。