今、巨樹巡りが大人の趣味として定着してきた。私も7年前から、全国の巨樹巡りを楽しみとしています。日刊木材新聞にも元朝日ウッドテックの中嶋さんのエッセイが毎回大きく掲載されている。また巨樹の本は、私が持っているだけでも300冊以上あり、毎年4~5種類の巨樹の本が発刊されている。 日本の巨樹の特徴としては樹の種類(樹種)の数が多いことです。
中でもクスが一番多く、大阪府では教育委員会が天然記念物と指定している65本のうち、クスが20本を占めている。これは2位のイチョウの10本を大きく引き離している。巨樹は大きいけれど傷んだり、老木になったりで周囲からの支えによって、生かされているものも多い。しかしクスは巨樹になっても多くは支柱なしで自立しており、本当の意味での巨樹にふさわしい木でしょう。
日本で最大の木は鹿児島県蒲生町にあるクスで国の特別天然記念物に指定されています。大阪でも門真市の三島神社のクスを見たらほとんどの人はきっと驚くでしょう。泉南市・岡中鎮守社、和泉市・松尾寺、八尾市・善光寺、羽曳野市・壺井八幡宮などのクスもそれに準ずる。これらのクラスになると、1本の木でも平面、高さとも大きい空間を独占し、まるで小宇宙の森のようである。トロロの森がクスの木をモデルにしていると言うのもなるほどと思う。
自宅の高辺台から木材団地への通勤途中の街路樹にクス並木がある。特に陸橋を渡っている時にはクスを上から、真横からと見ることができ、花や実の観察ができる。5月頃には少し赤みをおびた新芽が美しい。また陸橋からでないと気がつかないくらい、目立たない白黄色の小花が咲く。秋には小さい紫黒色の実が出来る。葉の縁が堅いので風による葉のこすれあう音は、音の干渉によって騒音を打ち消す効果があり、学校や病院などの植栽に効果があるとされています。
植栽したものは通直であるが、天然のものは枝分れ多く樹形は複雑になる。東京の明治神宮はクスが主体の森だが、これは天然ではなく、ほとんどが植樹されたものです。
クスの語源は多くあり、クスシキキ(奇木)とかクスリノキ(薬)とかいう説が有力です。興味深いのは台湾の高砂族では「ラクス」と呼び、早口で言われると「クス」と聞こえることだ。
漢字の「楠」を利用するのは本来は誤りで、「樟」の字を当てるのが正しいとされている。『大和本草』(やまとほんぞう)では、香りが強いのを樟、弱いのを楠(イヌグス)として区別しています。
日本書記に素盞鳴尊が髪の毛を抜いて植えたのが樟で「クスノキとスギは船材に」と記されているが、事実古代の遺跡から出土した丸木船はクスが多い。
以前ウッドリームで講演された小原二郎先生の話によると日本に仏教が伝来した頃は、樟で仏像を造ることが多かった。インドや中国では白檀を使用していたが、日本には白檀がなく、代用として香りがするクスノキを利用して作ったが、その後平安時代に彫刻に適した檜を発見して以来、樟を使う風習はすたれたとのことです。
かつては九州一円にわたって、いたるところにクスの大木・純林があった。しかし伐採可能なクスの大木は戦中から戦後にかけて、樟脳用や造船用材として乱伐されました。木材は昔から社寺、和風建築の内装と利用されてきました。床柱、床板、天井板、棚板など、ことに欄間がよく知られ、現在でも富山県の井波が有名である。その他器具、楽器、箱、家具、彫刻、仏像、などに利用される。木魚ではクス製はまろやかにこもった音を発するので最上とされています。
クスの特徴として樹全体に樟脳と樟脳油を含んでいます。この香りは強烈で、昔、木挽きが長時間挽くと鼻血を出すといわれるほどでした。しかし強いけれど、まとわりついて残るものでもなく、香りの強さは風などで調整ができます。
江戸時代にクスノキから樟脳を採る方法が薩摩藩に伝わって、外貨獲得の貴重品となり、以後第2次大戦前までは日本の輸出品のうちでも重量なものとなりました。樟脳は防虫剤に使用したほか、セルロイド、写真フィルム、香料、強心興奮剤などの薬品に利用されてきました。
現在は合成樟脳が開発されたので、天然の固形樟脳は以前ほど貴重ではなくなりましたが、九州の「内野樟脳屋」さんでは昔ながらの方法で樟脳を作り防虫用に販売している。おそらく日本でここだけだろう。私も樟脳の1キロの塊を購入し、箪笥の中などに入れたり、アロマなどに利用しています。医薬関係の「カンフル」は樟脳の英訳のカンファーの意味です。
「楠の木分限(ぶんげん)、梅の木分限」の諺がある。楠は生長は遅いが着実に根を張って、やがては大木になる。反対に梅は若木から花を咲かせ実をつけるが、ある程度以上伸びない。楠のような大器晩成型で基礎の堅実な財産家と、梅のようなにわか成金とを例えていう語となっています。
また、ゆっくりではあっても努力を重ね大成した人を讃えて「楠学問」の成果という。若木の成長は速いが大木にはならない梅は「梅の木学問」と言われ、広辞苑にも対比されています。
私自身は楠学問を目指してきたつもりだが、クスノキの花のように小さく目立たないところも同じかも。