熊野、知床と世界遺産ブームですが、遺産の登録にはIUCN(国際自然保護連合)が現地調査をしユネスコに報告をする重要な役割を担っています。しかし、IUCNが危機に瀕している生物をその危険度に応じて段階にわけリストアップ(通称レッドリスト)していることはあまり知られていません。その中の「野生絶滅種」にイチョウが登録されている。日本ではイチョウはどこにでもあり、街路樹としては一番多く利用され二位のプラタナスの倍もある。巨樹としても国の天然記念物は26本、大阪府では7本も教育委員会に指定されている。どうしてこれが絶滅種とされているのか、奇異に感ずるのは私だけではないでしょう。大正画
これは今の世界中のイチョウがすべて人によって植えられたものであり、野生のものは中国にほんの少ししか残っていないからです。実際に野山では殆ど見られない。神社やいわれのある場所に多いのが現実です。
原産は中国で日本への渡来は室町以前と言われています。イチョウという言葉は足利以来の書物に見られるが、それ以前の源氏物語、枕草子などにイチョウの名は見つからない。種も古代の住居跡などから発見されていません。また観音像のあるところに老樹があることから、観音像の渡来とともに僧侶によって持ち込まれたという説もあります。
一般に木の構造から針葉樹として扱われていますが、発生学上はもっと古い植物群の生き残りで、古代の植物とされています。イチョウの仲間は、2億年前のジュラ紀に、生息していたと化石から明らかになっています。当時は17属はあったといわれていますが、氷河期でほとんどは絶滅し、中国の一部地域でのみ生き延びたということです。
また、驚くことにイチョウは動き回る精子を持っている事です。明治29年、東京大学に勤めていた画工の平瀬作五郎が世界で始めて発見。当時欧州では多くの植物学者がこの研究をしていたが、植物後進国であった東洋の小国日本で、しかも学歴もない人間の発見であったので、大変な騒ぎになりました。世界的な大発見で博士号などもらえるようなものでしょうが、さまざまなことがありその栄冠を得ることができず、晩年は彦根中学の教師として人生を終わっています。
この発見で、それまで松柏科の一種とされていたのが、イチョウ綱イチョウ科イチョウ属が出来、植物の大分類から小分類を通してただひとつの木となりました。この1種だけ現代まで残ったのは、ダーウィンはイチョウを生きている化石と言ったように奇跡としかいいようがありません。この世紀の大発見となったイチョウは、現在も東京・小石川植物園の同じ場所にあり、わずかばかりの入園料を払い、入園するとすぐに見ることができます。
英名や学名は銀杏からのGinkgoで、日本ではさまざまな呼び名がありました。江戸時代には、異朝の木という説もあったが、貝原益軒が「葉が一枚だから一葉(いちょう)」と解釈し名前が統一されました。その後、中国で「葉の形が鴨の脚に似ているところから鴨足樹と呼ばれ、その音の「ヤーチャオ」が語源となった」説に変わりました。
いちょうの葉は神秘的ですね、しけしげと見ると空から見る鉄道の操車場のようにも見えますし、葉脈が浮き立って髪のようにも見えます。辞書では「銀杏返(かえし)、銀杏崩(くずし)、銀杏髷(まげ)」と女性の髪を表し、男の髪型として銀杏頭 (がしら)、さらに英語の通称名でもmaidenhair-tree(乙女の髪の樹)といいます。
樹皮はコルク質が発達しているので耐火性があります。火防(ひぶせ)の木ともいわれ、神社などの防火用や、各地で火災を防いだ実例があり、阪神淡路大震災での大口公園、鷹取教会などは有名です。
イチョウの実が付くようになるには年数がかかります。「モモ・クリ三年カキ八年、ユズの大馬鹿十五年、イチョウの三十年」といわれる諺もありる。また公孫樹の意味は祖父が植えてもその実を食べるのは孫だからという由来です。
食用にされるので、秋には落ちた実を集めるのですが、悪臭があり、直接手で触るとかぶれ炎症をおこします。ゴム手袋などが必要で、集めた後も、やっかいな作業があります。食べ過ぎると体に悪く、特に子供はギンナン中毒になることがあるので注意が必要です。
木材の組織は道管をもたず、針葉樹に近いです。材は淡黄色で、心材と辺材の色の差はほとんどないため、一見広葉樹材風です。加工は容易ですが、耐久性は低いと言えます。
碁盤や将棋盤用としてはカヤよりははるかに安いですが、カツラよりは高く評価されています。彫刻、漆器木地、クラフト、まな板に利用。まな板はヒノキ、柳、槙、カツラ、トチがよいといわれていますが、イチョウが一番という料理人も多いです。中華料理のマナ板ではイチョウの丸太切りしたものを、木口をまな板面として使います。本の栞にイチョウの葉を利用すると紙魚(しみ)が防げるといいますが、この木の殺菌効果によるものなのでしょう。
ネットで「ギンコー」を引くと無数にあり、健康食品として多数販売されています。実は古くから中国や日本で咳止め・下痢止め等の民間治療薬として使われてきました。ヨーロッパでは1960年頃から葉からのエキスを薬品にする研究が始まりその効力が認められ薬品として販売されています。バイエル社などは日本、中国に薬用として新鮮葉を買い付けにきていました。日本では薬の開発には非常に厳しく、薬としてまだ認められていませんが、記憶力、学習力や老人病の臨床実験での効果は絶大で世界中が注目しています。日本でも早期の薬品化が望まれています。