79年目の夏が来ました。
広島にある「平和記念公園 原爆資料館」によると、昨年度の入館者数は、198万1617人で、
展示内容を一新してリニューアルオープンした2019年度を22万人あまり上回り過去最多を更
新したとのこと。
このうち、外国人は67万614人と全体の3分の1を占め、2019年度を14万人あまり上回
って過去最多となったそうで・・・
ウクライナ。イスラエル・・・
世界で争いが起こる一方で、平和を熱望し、広島で平和を学びたいという人が多いのも事実では
あるけれど
いったい、どうしたら、核兵器のない、戦争のない世界になるのだろう。
願っているだけでは、何も訪れないと、記念式典で子供たちを代表して読まれた「平和への誓い」
をここに記します。
この言葉の重みを、家族と周りの人たちと考えるきっかけになれば。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
平和への誓い
目を閉じて想像してください。
緑豊かで美しいまち。
人でにぎわう商店街。
まちにあふれるたくさんの笑顔。
79年前の広島には、今と変わらない色鮮やかな日常がありました。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
「ドーン!」という鼓膜が破れるほどの大きな音。
立ち昇る黒味がかった朱色の雲。
人も草木も焼かれ、助けを求める声と絶望の涙で、まちは埋め尽くされました。
ある被爆者は言います。
あの時の広島は「地獄」だったと。
原子爆弾は、色鮮やかな日常を奪い、広島を灰色の世界へと変えてしまったのです。
被爆者である私の曾祖母は、当時の様子を語ろうとはしませんでした。
言葉にすることさえつらく悲しい記憶は、79年経った今でも多くの被爆者を苦しめ
続けています。
今もなお、世界では戦争が続いています。
79年前と同じように、生きたくても生きることができなかった人たち、明日を共に
過ごすはずだった人を失った人たちが、この世界のどこかにいるのです。
本当にこのままでよいのでしょうか。
願うだけでは、平和はおとずれません。
色鮮やかな日常を守り、平和をつくっていくのは私たちです。
一人一人が相手の話をよく聞くこと。
「違い」を「良さ」と捉え、自分の考えを見直すこと。
仲間と協力し、一つのことを成し遂げること。
私たちにもできる平和への一歩です。
さあ、ヒロシマを共に学び、感じましょう。
平和記念資料館を見学し、被爆者の言葉に触れてください。
そして、家族や友達と平和の尊さや命の重みについて語り合いましょう。
世界を変える平和への一歩を今、踏み出します。
令和6年(2024年)8月6日 こども代表 広島市立祇園小学校6年 加藤晶
広島市立八幡東小学校6年 石丸優斗
大阪木材工場団地協同組合にもどる