5年前

 東京池袋で高齢者のドライバーが運転する車が暴走し、母親と幼い娘さんが亡
 くる事故が起きた。

 この事故は、この年の免許返納件数が過去最多となる等「高齢ドライバー問題」
 が改めて注目されるきっかけの一つとなり、当時も多くの時間を割いて報道さ
 れていたので記憶に残っている。

 加害者となった運転者は、車の故障だとして無罪を主張していたが、結局認めら
 れず、禁錮5年の実刑判決をうけ、服役していた刑務所で老衰のため亡くなった
 そうだ。

 この訃報に、妻子を失ったご遺族が報道陣の取材に答えている姿をテレビで見た。
 
 この5年間、想像しがたい喪失感と虚無感の中、事故の再発防止を訴え続けてき
 た彼は、様々な気持ちが交錯する中で加害者との面会もはたしていた。

 そして、「妻と娘も無念だったと思います。もっと生きたかったと思う。だけれ
 ども、加害者もそういった人生の最期を迎えたことは、本当に無念だったんだろ
 うなと思うんですよね。加害者の後悔とか、加害者の言葉を、ある意味、託され
 たと思っている」と答え

 続けて
 
「自分の命が尽きたときに、2人が出迎えてくれて、あの日、言ってもらえなかった
 『おかえり』を言ってほしい。
 そのときに『ただいま、お父さんは頑張って生きたよ』と言いたい。
 誰しもが、被害者にも加害者にも、遺族にも加害者家族にもならないで「おかえり」
 と安心して、言い合える社会になってほしい。
 私は、そのためにできることをやっていきたい。」

 と答えている姿を目にして、かけがえのない日常を守るために車を運転する人間
 として真摯に受け止めなければと強く感じた。

 そして
 
 改めて、当たり前に運転している日常を振り返ってみる。

 安全運転は心がけているつもりだけど・・・

 安全速度は守っていますか?
 カーブの手前は速度を落としていますか?
 交差点では安全を確かめていますか?
 歩行者の安全に配慮していますか?
 わき見、よそ見、していませんか?
 携帯電話、気にしていませんか?

 そして・・・
 
 何歳まで運転するのですか?

 答えは、自分の手の中にある。




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